木村大作さんの活躍ぶりをご紹介

撮影カメラマンとして、数々の映画に携わっている木村大作さんですが始めて映画監督として撮影した作品があります。それは2009年に公開された映画「劔岳 点の記」です。作品の中で山岳測量シーンなども、空撮やCG処理に頼ることもなく、積雪の時には体感温度が氷点下40度にも達する中で、山小屋やテントに泊り込みながらの長期間にわたる撮影は、木村さんの並々ならぬ撮影するための気持ちを感じます。かつて撮影助手をしていたころよりも、キャメラの性能は格段に良くなっていても空撮には頼らないという見事な潔さが、木村さんのキャメラマンとしての凄さを物語っています。

東宝からの独り立ち

キャメラマンとして、時には大きな声で撮影現場をとりしきる姿は誰が監督かわからない。とまでいわれるほどですが、その道のプロフェッショナルだからこそ譲れない部分があり、時に高飛車な態度だといわれてしまうのかもしれません。ただし、木村さんは自分自身にもとかく厳しい人です。良い作品を撮るためには一切の妥協は許さないという姿勢があればこそです。

独立

昭和48年(1973年)に、須川栄三監督作品『野獣狩り』でカメラマンとして一本立ちします。そしてこの『野獣狩り』の撮影現場では、木村さんの発案からすべてのオールシーンを手持ちカメラで撮影しています。そして撮影用の照明を使わずに、手持ちカメラでの撮影の他に、撮影する時の照明も自然照明で撮影することを監督に提案していたため、この作品の撮影中に、照明を当てる必要がないと仕事を奪われた形になった照明技師で黒澤作品にも多く携わっているベテランの森弘充さん(照明技師)が、こっそりとライトを当てた時に、木村さんは自分よりもかなり年長の森さんを怒鳴りつけたというエピソードがあるそうです。

そして映画の撮影中に、木村さんは片腕を骨折してしまいますが骨折してしないほうの腕だけで、撮影を続行したりそれだけではなく初代仮面ライダーで当時出演オファーが殺到していた主演の藤岡弘さんが、ビルの屋上から隣のビルへジャンプして飛び移るという、とても危険なシーンの撮影現場で、危険なだけに戸惑っている藤岡を前にして、木村さんが実際に飛んで見せます。そして「俺ができるんだから、お前もできるだろう!」と藤岡さんに発破をかけたエピソードもあるほどです。

それから後には、森谷司郎監督や岡本喜八監督との作品でカメラマンとしてコンビを組み、木村大作というカメラマンの名前はさらに高まっていきました。高倉健さん主演「八甲田山」で監督を務めた森谷さんは残念なことに、まだ53歳という若さでこの世を去っていて、また岡本監督に対しては木村さんは岡村監督の人柄であったり才能に対して最大限の敬意を払っていますが、岡村監督の取るコンテ主義のためにカメラマンの裁量が少なことを理由として岡村監督との仕事を断るようになりました。ちょうどその頃は、東宝が実質的に製作撤退しつつあった時期でもあったため、東宝の専属を離れて深作欣二監督や、降旗康男監督といった他社出身監督の仕事もふくめて、木村さんは幅広い活動を行うようになっていきました。

かなりの毒舌

一時期テレビ出演も木村さんはしていました。それは『平成日本のよふけ』へ出演したことがきっかけです。そこで南原清隆さんと交流が始まったため、『笑う犬の冒険』でコントのキャラクターの素材となり、木村さん本人もコントに出演することになりました。おまけに『笑う犬の冒険』の中でも、ただコントに出演するだけにとどまらず、木村さんのコーナーとも言える「ラスト・シーン」で本業のキャメラマンとして35ミリキャメラを回しています。

お正月のお約束のテレビ番組『新春かくし芸大会』には、2000年と2001年という2年連続で審査員を勤めています、木村さんの過激なまでの毒舌批評で嵐を巻き起こしました。木村さんの毒舌ぶりは、業界の人たちには十分知られていることでしたが、一般視聴者からは「あの毒舌はいったいなんなの?!」と不評を買ったこともあって、それ以降の審査員として登場はなくなりましたが、衛星劇場では木村さんの冠がつくトーク番組「木村大作の春夏秋冬」を持っていて、そこでは撮影した当時の映画産業であったり黒澤明監督をはじめとする、映画人の裏話などを披露しています。

映画「北のカナリアたち」のあらすじをすべて・・・

冬の美しい厳しい映像や高倉健さん×降旗コンビでも撮影を担当したキャメラマンの木村さんが、東映60周年記念作品「北のカナリアたち」で撮影を担当しています。主演は吉永小百合さん、そして若手実力派俳優が教え子として登場しますが、森山未來さんの演技には驚かされることでしょう。北海道の最北端の離島を舞台にした映像美と、原作湊かなえさんのミステリーも楽しめるとても豪華な作品になっています。